2014年5月8日木曜日

LOW



だいたい夜の粒子はまだぬれているいるけども、
昼間は鬱蒼と暖かな日も会って、そういった日には窓を開け放して、
布団を干して、窓を拭いたり、普段のぞかない低いところを拭ったりしている。
(でも彼はあれなんで開いているのかしらという風に、気づくとすぐに閉めてる。)

そんなことしていたら、ある日玄関の天井にわりかし大きな蜘蛛が正座していた。
なんだかおとなしそうだったので、その日は様子をみることにした。
翌朝、おなし場所を確認すると、少し移動していたけれど、
壁と天井の隙間にそっと潜り込んで、あいかわらずじっとしていた。
仕事から帰ってきても、また少し座軸の点Pは移動していたのだけれど、
だいたいそんな態度だったので、数日様子をみていた。
それなのに、ある夜、寝る前にふと天井を見上げると、
蜘蛛はほとんど猫が顔を洗うみたいして、忙しそうに糸をはき、移動してはまた糸をはき、その糸の強度を確認するために少しぶらさがって、はて少し休憩。

私は裏切られた思いで蜘蛛と絶交したんです。
それから思い出したように、隣の山ばかりの県へ引っ越した古い知り合いに、
結婚おめでとう、と伝えたんだよ。
彼といつも話していたユーモア、つまるところ来世なんか屑のようにきれいさっぱり消えたんだよ。

2014年5月6日火曜日

J.D.S



「サリンジャー 生涯91年の真実」を読んだ。
サリンジャーの作品では、ほんとうに、登場人物にとても近い視界と、ハートと、
読者が背景の前後左右ぐるりを確認できる自由さがとても精密に積み上げられているのだけれど、それが一体どういうことなのか、この本を読んで納得しました。

ホッチナーの話でいちばん興味ふかいのは、サリンジャーが選んだ言葉だ。彼はホッチナーに「言葉のなかに」炎を埋め込むのではなく、「言葉と言葉のあいだに」炎を置け、と忠告した。その指摘することろは、真の意味は作者が指示するものではなく、読者に感じられるものだということだ。それはとくにサリンジャー的な概念で、サリンジャーをサリンジャーたらしめている要素である。

2015年に、遺作が無事にサリンジャーの指示通り発表されますように。